ベートーベンの交響曲第一番をご存じだろうか。
運命、田園、ダイクをメジャーというならば、本作は超マイナーの部類になるだろう。
しかし、傑作を世に送り続けたベートーベンの交響曲第一作目だ。
なんらかのタネや仕掛けがあるに違いない。
ここでは、ベートーベンの交響曲第一番の魅力についてご紹介する。
1.ベートーベン交響曲第一番
一言でいうならば
- 人をナメ腐った曲
だ。
まぁ、若気の至りというか、やんちゃな結果というか、若いときのものなので仕方ないか、と言う感じだ。
2.ナメ腐りポイントその一~終わりで始まる
この曲の第一楽章、しょっぱなのイントロは、
- シ~~~~ド
だ。
ドレミファソラシドの最後の二音、シとドだ。
音階が終わる時の音だ。
出だしと同時に、一度終わるのだ
なにが終わるのかさっぱりわからないのだが、とにかく一度終わる。
終わってしまう。
一度終わるのだが、それで終わらずに曲は続いていく。
その続き方がまたムカつく。
3.ナメ腐りポイントその二~曲がさわやかすぎる
終わって始まった曲は、その後、何ともなかったかのように流れていく。
その流れ方がさわやかすぎるのだ。
あくまでも爽やかに、流れるように進んでいく。
とんでもない始まり方をしたにもかかわらず、何事もなかったかのように進行していく曲。
人をナメるにもほどがある。
4.ナメ腐りポイントその三~旋律は、ただの音階
4-1.旋律は音階そのもの
これは、この曲限ったことではないのだが、この作曲家は、ろくな旋律を書くことがない。
美しい旋律のように聞こえるが、そのほとんどは、ただの音階だ。
ドレミファソラシドの一部、もしくはそれをそのまま使っているのがほとんどだ。
ただの音階でしかないなのに、なぜか聴き入らされてしまうのだ。
まさにベートーベンマジック、だ。
ナメ腐っているのに、マジックまで使われてしまうのだ。
聴いている側は、ナメられっぱなしの、だまされっぱなしなのだ。
4-2.マジックの正体
マジックには、タネも仕掛けもある。
本作も例外ではない。
マジックの正体は
- リズム
- 強弱
の二つだ。
ベートーベンは、ただの音階に過ぎない音列に、リズムと強弱を巧妙に組み合わせ、意表をつくような響きに変える。
ただ、その組み合わせ方が、完全に人をナメ腐っている。
ナメ腐っているが、それに感心させられるこちらは、完全になめられてしまっていて、ぐうの音も出ない。
5.ナメ腐りポイントその四~あっという間
第四楽章が圧巻だ。
出だしは、大上段に振りかざす。
「ば・ばーーーーん」という感じで始まる。
大上段に振りかざして始まるクセに、曲はいつの間にかハイスピードで進行していく。
そして、あっという間に終わる。
あっちこっち、ぐしゃぐしゃやらかしておいて、あっという間に終わるのだ。
なんとまぁ、無責任なことか。
無責任極まりないが、さっと吹いて消える、さわやかな一陣の風のようでもある。
立つ鳥跡を濁さず、を地で行ってる感じか。
6.過去との訣別
本作は、師匠であるハイドン、そしてモーツァルトの影響が色濃く反映されているものと評価されることが多い。
聞こえてくる響きは、確かに師匠のそれを踏襲しているものでしかない。
しかし、その響きの裏側にあるコンセプトは、師匠らのそれとは全く別物だ。
ある意味、稚拙な響きではあるが、じっくり聴くならば、そこにある、人をナメ腐ったいろいろな仕掛けに驚かされる。
それが本作の魅力ではないだろうか。
もちろん、ご紹介した内容を楽しんでいただくには、本作が作曲された時代背景は考慮しなければならない。
現在と同じ感覚で楽しむのは、お勧めしない。
7.まとめ
今回は、ベートーベンの交響曲第一番についてご紹介した。
聞こえてくる響きは、師匠らのそれを間違いなく踏襲している。
しかし、響きはともかく、そのコンセプトは師匠らのそれとは全く違う。
そして、本作の後に続く傑作の数々を思うならば、交響曲第一作目にしてこれだけのコンセプトを包含させたこの作曲家は、本当にすごい人だと思う。
ベートーベンの交響曲第一番の良さがあまりわからない、という方。
参考にしていただきたい。