捨てられない。捨てる、とは?

捨てられません。
だから、モノを捨てることについて、書きました。
なぜ捨てられないのかも見えてきました。
その理由がわかれば、その理由を解消すると、捨てることができるのですね。
ポイントは、

  • 捨てるものに、感謝をする。
  • そうすれば、捨てられる。
  • 別れることができる。

ということですね。

ウシマツです。

モノを捨てられない


「人生がときめく片づけの魔法」(サンマーク出版)
という本がある。
著者は近藤麻理恵(こんまりさん)という人だ。

この本を読んで、捨てることを考えるようになった。

捨てるモノに対して、お礼を言う。
支えてくれたことに対してお礼する。

どういうことか?

こんまりさんは
「いままで支えてくれたことに対して」
というが、なにを支えてくれたのか?

「捨てるもの」が何を支えてくれてたのか、さっぱりわからない

存在さえ忘れていたものだ。
支えてくれたなんてことは考えもできない。
どういうことか?

こういう場合、ソレガシは理詰めで考えなければ納得できない。
なので、とにかく考えた。

これは、こう考えればつじつまが合う。
捨てるものは、自分の手元にきてくれたことにより、自分の感情を支えてくれた。
ということだ。

支えてくれるということ。
不安定を安定な状態にすること。
そう考えることができる。

捨てるものが、安心させてくれる、ということ?

われわれの不安定な状態とはどういうことだろうか?
不安に思ったり、不満を感じたり、ということだろう。
そういった不安定なのが安定になるとはどういうことか?

不安定の裏返しが安定ということだろう。
同じように考える。

不安なら、安心だ。
不満なら満足だ。

これらならわかる。
満足させてくれることとは、感情が満足になるよう、不安定な状態を支えてくれることだ。
安心させてくれることだ。

安心すると、安心だね

満足しないと、いつまでも不安定だ。
何かに支えてもらう必要がある。

その不安定な感情を安定な状態に導いてくれる。
支えてくれていることにならないだろうか?

いまの状態は、そういう満足させてくれた主役である、捨てるモノがあったから維持できている。
そう考えるのはおかしいだろうか?

いまの状態は、いま捨てようとしているものを手に入れたから維持できていた。
そうではないだろうか?
あのとき買ってなければ、後悔したり、不安定な状態だったろう。

無いと不安だ、というモノもそうだ。
不安に感じるだけで、本当はどうでもいいのだ。
しかし、そのときは不安を感じた。

不安だと、不安定になるね

使うかどうかわからないが、不安を感じた。
状態が不安定になった。

そういう、不安定になった状態を手元に残すという形で安定させた。
つまり、そのモノにより、支えてもらったわけだ。

欲しくなかったが、もらった場合もそうだ。
「いいものもらったな」
という感情。

いっときであれ、満足したのではないか?
「こんなものいらない」
であれば、すぐに捨ててるだろう。

自分を満足させてくれたということは、自分の感情を安定させてくれたことになる。
それよりも前も十分満足だったかもしれないが、自分をさらに充実したものにさせてくれた。

安心することは、安定な状態になる、ということ

充実という、より安定な状態に持っていってくれた。
これは支えてくれたことにならないだろうか?

支えてくれた、とはそういうことだ。
そう考えればいろいろなことのつじつまが合う。

だから、今日まで支えてくれたそれに対してお礼を言う。
これは決しておかしいことではない。

今日まで知らず知らずのうちに自分を支えてくれていたそれにお礼を言う。
むしろ、大事なことではないか?

「本当にありがとう」
心を込めてお礼を言う。
それにより、お互いさわやかに別れられる。

捨てるものへ、ありがとう。そして、さようなら。

支えてもらったモノへのお礼。
ものすごく大事なことである。

まったく理屈っぽいったらありゃしない。
しかし、このように考えることで、捨てるという行為に納得ができる。
捨てるモノに感謝することで、ようやく未練なく分かれることができる。

以上、モノが捨てられない、ウシマツでした。

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