ウシマツです。
坂間勇という人がいました。
駿台予備学校で物理の講師をされていた人です。
たぶん先生は、こんなことを伝えたかったのかな。
そんな感じのことを書いてみました。
坂間先生のこだわっていたものは?
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坂間先生がこだわっていたもの。
「なに、訳の分からないもの信じてるんだ?
そんなもん、素直なんて言わない。
そういう奴は嫌いだ」
教室に入ると、そういうオーラを噴出されていた。
ものすごく、近寄りがたい雰囲気プンプンだった。
こうやって分析するんだ。
こうやって組み立てるんだ。
細かく分けろ。
分ければわかってくる。
見えてくる。
こういうメッセージを常に発信されていた。
いわゆる受験テクニックではない。
現象は起きる。
起きたものは仕方ない。
では、それをどう見るか。
その見方。
とらえ方。
そういうものを教えてくれていた。
何が本質なのか?
たとえば、年度の一番はじめの講義。
質点の力学。
黒板に、チョークをちょん、と当てる。
生徒からは見えるのは、「運が良ければ」白い点だ。
「これが質点。
大きさの無い点。
でも質量は持っている。
そんなもんあるはずがない。
でも、そういうものを扱う」
こんな風に始まる。
もはや受験を超越している。
「こんな設定はあり得ないんだよ」
「でも、これでいいんだ」
おかしいものは、おかしいとはっきり宣言する。
でも、おかしくても、つじつまがあうことがわかってくる。
「当たり前を当たり前だとか、偉そうな顔するな」
「常識?どこの常識だ?」
「常識、常識って、そう信じてるだけだろう?」
「もっと不思議に思え。」
「簡単に納得するな。」
「もっと『なぜっ?』って思え。」
「わからないことに、おとなしくなるな。」
そういうことを伝えたかったのだと思う。
でも、なぜか近寄り難い雰囲気。
本質を探す方法
ところが、だ。
教室をいったん出ると、オーラは消える。
一度、教官室に質問に行ったことがある。
いまでも覚えてる。
ポテンシャルの符号だ。
教室での雰囲気は皆無だった。
ものすごく優しかった。
穏やかな声で、駿台の罫紙に図を書いて説明して下さった。
でも、ソレガシの理解力というか、イメージ力が柔軟でなかった、固すぎたので、理解できなかった。
年度の最後の日に、ノートにサインをもらいに行った。
なにも言わずに
「自然を観る」
と下さった。
山本義隆先生がみたいと言うので、お見せすると
「ひぇー」
で終わった。
講義はいつも立ち見がいた。
大学生もいた。
学部の講義はつまらなかったらしい。
でも、夏期講習の坂間先生の講座。
なぜか空席が目立っていた。
それがいまだに謎だ。
以上、ウシマツでした。