<h1>ベートーベンの二面性 シリアスとコミカル</h1>

ウシマツです。
ベートーベンというと、音楽室の肖像画だ。
-上目づかいのしかめ面で、なんとも近寄りがたい。
-産みの苦しみ、運命に逆らえない自分、というものが表現されている。
という感じか?

1、ベートーベンはシリアスな人?

しかし、そうだろうか?
たしかに、シリアスな面はある。
交響曲第五番の第一楽章冒頭などは代表的なものだ。
ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン
である。
ほかには、ピアノソナタ第14番だ。
「月光」で親しまれているこの曲の冒頭も同じである。
非常に荘厳な雰囲気に包まれている。
これらを聴く限りでは、気難しいとか、頑固とかいう言葉しか浮かばない。

2.じつは変な人だった?

では次に、交響曲第一番を聴いてみよう。
この曲をよくよく聴けば、この人がとんでもない「おふざけさん」だったことがわかる。
冒頭、出だしは「シー・ド」である。
シからド。ドレミファソラシドと口ずさめばわかる。
終わっているのだ。
交響曲の冒頭なのに終わっているのだ。
おかしくないか?
これから始まるというのに、「終わりましたぁ。ちゃん・ちゃん!」である。
人を馬鹿にしている。
と思ったら、まだ続く。
「と思ったけど、あぁ~、わすれてましたぁ~」みたいな感じである。
この曲はクラシックである。
それも、かの有名なベートーベンの曲だ。
これは否定できない事実だ。
でも、信じられるか?
そんな感じで始まるこの曲は、最初から最後までこんな感じだ。
ひょうひょうとしていて、軽妙。
ギャグ満載、という感じである。
圧巻は四楽章だ。
冒頭はうって変わってまじめな感じだ。
ゆっくり忍び足で、おそるおそる近づくという感じで始まる。
しかし、その忍び足もよく聞くと、単なる音階である。
音階をそれらしくずらしているだけだ。
つーか、人をコケにしてるのか?
忍び足が頂点まで行くと主題が奏でられる。
それまでとはうって変わって忙しい感じだ。
また展開部が人をおちょくっている。
可愛いかったり、爆発したり、どっちかにしてほしい。
そして最後はオーケストラの咆哮で終わる。
咆哮というより、大笑いと言うほうがふさわしい。
なんだか可愛いかったりうるさかったり、本当に忙しい曲だ。
まるでベートーベンが高笑いしているようにしか聴こえない。
そう、副題をつけるなら「高笑い」が一番いいだろう。
ウシマツでした。

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